能登ハイヤ音頭(輪島市門前町)                  採譜:松嶋庄次

1 (サードッコイサードッコイサー)

  ハー島の初めは淡路が島よ(シャンシャントコセー シャントコセー)

  国の初めはイナー 大和の国よ(エーシャントイ)

  那須の与一は誉れの次第(ハイヤーハットセーエノマカセー)

(以下はやしことばカタガナ部分略)

2 那須の与一は誉れの次第

  小兵なれども武勇に優れ

  過ぐる御歳 十九歳にて

3 過ぐる御歳 十九歳にて

  弓矢一手に 名は万代の

  戦い起こりし ところはいずこ

 

     輪島市門前黒島は、藩政時代に大坂、九州、山陰、北陸、そして北海道を航路とする北前船が出入りする港であった。この黒島にも北前船の船主が十数軒いて港が盛況であった。北前船は各地の特産品を積み降ろしするが、船員たちは長い船旅のため、ここ黒島にも休息した。宿泊した船員たちは、各地の珍談あるいは事件を自慢に語った。酒が入ると当然唄も出てきた。黒島を初め、この近辺の道下、鹿磯に伝わるハイヤ音頭は、口説き調に唄った踊り唄で源平合戦などの語り文句は当時の事件を今に教えている。

◆「ハイヤ節」は、九州方面から海岸沿いに次第に北上して日本海の海岸線におのおのの土地での歌い方も加わり、各地に定着したものだといわれている。門前町内でも海浜地方はもとより、内陸部の方面にも広く歌い継がれている。歌詞は普通、七七七五の都々逸調が多い。輪島市門前町道下では那須の与市や長太らくなど、歌物語に結びついた珍しいハイヤである。古くから道下に歌い残され、先祖の盆供養の感性に溶け合って、いつの間にか踊りの輪の中に誘い込まれるのである。長太らくの歌詞は、江戸時代の道下村の学者、塩谷啓介氏の作詞と伝えられている。(合併30周年記念・門前町の民謡集「さと里のにおいを」から引用)