白峰かんこ踊り(白山市白峰地区)               

 

1 河内(こうち)の奥は朝寒いとこじゃ 御前の風を吹き降ろす

 ア御前の風を御前の風を 御前の風を吹き降ろす(ハモータリモータリモータリナ)

 (以下はやしことば略)

2 加賀の白山(はくさん)白砂(しらたえ)なれど 雪は降るまい六月は 

ア雪は降るまい文月葉月 唄うて舞うてお山へ登りや 雲の間に間に花が待つ

3 河内の奥に煙が見える いねや出て見や霞か雲か 御前の山が焼けるのか

  アお山の焼けの煙とあらば のうのが手を引け んなんぼをおぶせ

  そしておんじの裏山へ

4 かんこを持てば蚊のめが走る みんな一時にうちわ持て

  アみんな一時に 一時にみんな みんな一時にうちわ持て

5 かんこを腰に粟の草とれば 心は辛気(しんき)盆恋し

  ア心はしん気 心はしん気 心はしん気 盆恋し

6 向かいの山に光るものなんじゃいな

  お月か星か 蛍の虫か 今来る嫁の松明(たいまつ)

  ア今来る嫁の松明(たいまつ)か 今来る嫁の松明(たいまつ)ならば さしゃげてともせやさ男

7お十九をしょじゃこ 二十歳をしょじゃこ 盆かたびらの袖しょじゃこ

 ア十九もよいし 二十歳もよいし 盆かたびらの袖もよい

8 踊れや踊れ みんな出て踊れ 踊らにゃ 明日はくやしかろ

  ア踊らいでもあすはくやしいことはない わいなあしたから山の草取りじゃ

     「河内」=白峰からさらに上流の赤岩、市ノ瀬一帯

     「御前」=白山の主峰御峰(ごぜんみね)

     「いね」=母親・妻 

※→「おんじ」=山のかげ 

※→「のの」=祖父 ※んなんぼ=幼児・一番末の男の子

     「かたびら」(帷子)夏用の着物 ※しょじゃこ

     「しゃしゃげて」=差し上げて

 * 「んなんぼ」=一番末の男児

     白山の開祖、泰澄大師が養老元年6月18日白山市白峰地区(旧白峰村)市ノ瀬の笹木源五郎を連れて登山したが、何日たっても下りてこないので、村人たちが心配し、途中まで迎えに登ったところ、夕暮れどきに修行を終えた大師が神々しい姿で現れた。村人たちは、その姿を拝するや否や、歓声を上げ、手を振り、足を踏み鳴らし、持っていたかんこなどを打ち振って歓喜で踊ったというのが起こりという。

     白山が開かれたのは、養老元年6月18日泰澄大師が本村一ノ瀬の笹切の源五郎(笹木源五郎)を連れて上ったのが最初である。そのときに大徳である泰澄大師が登ったけれど、何日たっても帰って来ないので、一ノ瀬の人々は、非常に心配していた。そこで、ある日、真正面にそびえる六万山のブナの原始林をわけてシマイバンバ(最初の広場)というところまでお迎えに登ったのである。

  やがて日は、まさに暮れようとするとき、修行なった大師が神々しい厳かな御姿をたそがれの彼方の峰に現されたのである。心配のためにじっと藪蚊に刺されながら佇んでいた人々は、そのお姿を拝するやいなや、わあっと歓声を上げ、手を振り、足を組みならし、持っていたカンコ(蚊遺火)をふり、手拭いを振り、喜び踊りまわったのである。このときの喜びの様子が、手をまわし、地を蹴って踊るかんこ踊りになったという。

かんこ踊りの名所については、いろいろあるが、この地方の野良仕事に使うカンコから取ったと言う説と、神(泰澄大師)を迎えた時の踊りで神迎踊りだという説、さらには、鞨鼓風の太鼓に合わせて踊るからだという節があり、いずれともわからない。

なお、元来は、白山開山の日とされる十八講の節供を初め、祭りや盆、節供などに唄い踊ったものが白峰本村に取り入れられてから発展し、県指定文化財になり、右手に手拭を持ち、カンコと唄に合わせて踊る。近年は巫女姿や、野良着姿等の踊りが知られてきた。古雅なカンコの響き清澄で神さびた曲節は、霊峰白山の気高さをよく象徴しているように感じられる。

この唄は、国選択無形民俗文化財・石川県指定無形民俗文化財である。