高鞆音頭(金沢市藤江)               作詞:南部幸七 作曲:松嶋庄次

1 加賀の三代利常公は 寛永十年金沢城に(ハイ)

  泉水(せんすい)築山(つきやま)(にわ)(つく)らんと(ハイエンヤサー) 家臣(かしん)寄りあい思案をなさる(ハイエンヤサー)

   (以下 はやしことばは省略)

2 能登に噂の巨岩(おおいわ)ありや その岩肌は亀甲(きっこう)模様(もよう)

   (たけ)一丈(いちじょう)に二尺と余り 突飛な首が振り動くとや

3 責務担った庭師()衛門(えもん) (すぐ)る船頭は五十と二人

   能登は富来へと海路を急ぐ 吹けや追い風櫓櫂がしなる

4 苦心算段合わせる船を 波に浮かべた珍亀な岩は

   船をきしませ風波しぶき 無事に着けたや宮腰の浜

5 (おか)に上がった巨(おお)亀岩は 引かれ押さるる往還半(おおかんなかば

   藤江の村に差したる折に 何たる悲劇や亀甲岩(きっこういわ)の

6 大事大事な首折れ落つる 亀よ嘆くなお城にゃ行けぬ

   岩にまたがり胴突きなさる 男衛門運命(いのち)悲しや

7 大野の(さと)行き交うに 今も残りし藤江の村は

   高鞆神社の杜の片隅に 黙すは悲しや能登の亀岩

寛永11年(1634年)、金沢城で玉泉院丸庭園の築造の際、能登・富来(現志賀町)から亀の形をした大岩を船で運び、宮腰(現金石港)から金沢城へ運ぶ途中、金石街道の藤江まで来たときに亀の首の形をした部分が折れてしまった。これに関わった庭師左衛門は、大岩にまたがり切腹してその責任をとったという。しばらくその首なしの大岩は放置されていたが、近くの高鞆神社の境内に移動・安置された。平成5年(1993年))この悲しい逸話を後世に伝えようと高鞆音頭が創作された。
◆高鞆神社では令和2年(2020年)これをアピールしようと既存の唄の旋律の見直しと新たに踊り振り付けを北都民謡会に要請、平山俊春が編曲、永井幸子が踊り振り付け踊り振り付けし、DVDにまとめました。

これらをDVDにまとめました。