銭五音頭(金沢市・金石地区)               作詞:清水九璋  作曲:有馬通男

1 ハア加賀は百万石 梅鉢御紋  弓は袋に弓は袋に 槍は(さや)

  蘭麝(らんじゃ)()かすも 波の上 ほんに(みやび)な ほんに雅な 船遊び

2 ハア加賀の佐良が嶽 宮腰(みやのこし)浦は 州浜(すはま)ゆかりの州浜ゆかりの よい港

  竿の林の百千(ももち)船 通い慣れたる 通い慣れたる 宵の(さと)

3 ハア加賀の銭五は 日本の銭五 菊の栄の菊の栄の 聖代(おおみよ)

  貢ぐ宝のそのためにゃ 何のその身も何のその身も 捨て御船

4 ハア加賀はもとより 津軽も江戸も 浪花松前浪花松前鹿児島も

  銭五出店の繁盛差は 紺の暖簾(のれん)紺の暖簾に風薫る

5 ハア加賀の船とは 銭五の船よ 蝦夷(えぞ)や長崎蝦夷や長崎 何のその  

  オロシヤアメリカ 乗り回る 男五兵衛の男五兵衛の度胸を見よ

◆この唄は、昭和8年、銭屋五兵衛の銅像が建立された記念に創作された。五兵衛は、江戸時代末期に北前船を駆使し、海の豪商・海の百万石といわれ、呉服・木材・海産物・米穀等の問屋に続いて海運業を本格的に乗り出した。のちに江戸時代を代表する大海運業者となり、加賀藩からは銀仲棟取(ぎんずわいとうどり)、問屋職、諸算用聞上役(しょさんようききあげやく)をおおせつかり、藩の金融経済の大切な仕事に尽くし、たびたび御用金の調達もした。

晩年は河北潟干拓事業に着手する、死魚中毒事故に遭い、反対派の中傷による無実の罪により嘉永5年(1852)11月21日獄中で80歳の生涯を終えたのである。この波乱万丈な人生を偲んでものである。